「となる人」とは、「いつも隣りにいてくれる人」「傍にいつづける人」のことをいいます。
じゃあ、「となる」って何なの?
名詞「隣(となり)」に「る」をつけて動詞にしたもので、「とな-る」⇒「隣にいる」のことです。
「となる」の意味も「家や土地が並び続く」「区域・境界が接する」など、いくつかありました。
ここでは、「人により添う」を指すことばとしています。
直訳すると「人に寄り添う人」「傍にいてくれる人」の事ですね。
実は恥ずかしながら、私はこの言葉をラジオで聞いて、初めて知りました。
早速調べたので、ご報告いたします。
おじさんの用語説明をスタートいたします。
「となる人」という言葉を知ってますか?
「となる人」の意味を考える
某ラジオの中において、愛情の在り方として「となる人」を考察していました。
その方は、自身が周りと違うことで心が苦しい時に、いつも隣にいてくれた人がいたそうです。
何かを言うわけでもなく、ただ隣にいてくれたそうです。
昨今、人との接触が減っている中で、一緒にいてくれることの喜びや心強さを感じられたようです。
人に寄り添うこと、言葉の同意や共感を得てもらう事は大切です。
しかしながら、全部を理解しあうことは難しく、声をかけただけで傷つけてしまうこともあります。
人間は物理的距離として、何をするでもなく隣に人がいてくれることで、安心感を得られる部分があるから、とても不思議ですよね。
さて、「となる人」を検索にかけてみると、同題名の日本映画「隣る人」が検索上位にきます。
児童施設の日常を8年間も追ったドキュメンタリー映画になります。
ラジオでも、映画の話はありましたので、これが原点になるのではないでしょうか。
「子どもたち」と「彼らに寄り添う大人たち」を指した題名のようです。
ここでの表現としては、「隣る人」は「となるひと」と発音し、「聖書の言葉で人がいかなる状態でも隣にい続ける人」を意味するとのことです。
「となる人」という映画も観てみたくなりました。
「となる人」があたえる効果を考える
常に、隣にいる人というものを考えてみます。
アニマルセラピーなど、動物が喋らないで一緒にいるだけなのに安心感を感じます。
自分を精神的に追い詰めず隣にいてくれる存在の大切さは、人と人との心地よい関係性とは何かを考えさせられます。
隣る人も、実は誰でもよい訳ではないですよね。
特定・特別な誰か、自分だけの受けとめ手、が自分にとっての「となる人」になるでしょう。
人は誰しも愛を求めているが、愛は受け止めてくれる人があってこそですよね。
また、人が自分から色々なことを乗り越えていくには、不安が付きまといます。
自分を認めてくれる人が近くにいるという感覚がいかに大切かを考えさせられます。
まとめ
参考にはなりましたでしょうか?
「愛情とは、何か特別なことをしてやったり、まして期待したりすることではない。」
という方もみえます。
「となる人」は、「いつも隣りにいて自分を認めてくれる人」との考えになりました。
個人的に集めた情報まとめですので、ニュアンスの間違いなどありましたら、笑って許してください。
それでは、閲覧頂きありがとうございました。
また一つ、新たな言葉を勉強しました。
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